もなかあんこの            そのまんまで生こう

発達障害グレーゾーンのそのまんまな日常を綴っていきます

愚痴を言われ時の対処

こんにちは!

 

 

 

もなかあんこです。

 

悩めるあなたと一緒に

考えたい

発達障害グレーゾーンです。

 

 

 

今までの人生は

やってはいけない禁止事項が

自分自身に多すぎて

 

 

たいへん生きづらいものでした。

 

 

 

 

人から友人に対する愚痴を聞くと、

 

 

「あ、この人、悪口を言ってる。いけないね

 きっと別の機会には私のことを言ってるんだわ。」

 

 

と、相手を警戒してしまい

愚痴を言った本人が一番欲しがっている

 

 

「共感」

 

 

を置き去りにして

 

 

まず先に

「言われている子の肩を持つ」という

 

 

禁じ手をしてしまってました。

 

 

今なら少しだけ、

 

 

どう対処すればいいか分かるのですが

(まだまだ困っているところもあり)

 

 

これでは私に話しかける人は

 

 

 

減っていくはずですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人から好かれたい

こんにちは!

 

 

 

 

 悩めるあなたと一緒に考えたい

 

 

 

発達障害グレーゾーン 

 

 

 

”もなか あんこ”です。

 

 

 

子ども時代の寂しさ。 

もう過ぎたことなのに

 

 

 

もう大人になって随分と経つのに

 

 

 

いつまでも胸の奥に住み続け

なかなか出て行ってくれません。

 

 

 

忘れたふりをして

いなくなったと思っても

 

 

 

昼間の月のように

見えなくてもそこに確実に 

あるのです。

 

 

 

悩みながらも何十年か生きてきて

ある程度の答えに辿り着きます。

 

 

 

 

人とうまくはやれない。

でも本当は寂しい。

 

 

 

 

うまくやれないのは

いいひとでないからだ

 

 

 

 

いい人とは?

人の悪口を言ってはいけない

 

 

 

 

頼まれたら断ってはいけない。

相手を否定してはいけない。

 

 

 

 

やってはいけない事だらけ。。

 

 

 

 

こんなに色々と

気を付けているのに

 

 

 

 

やればやるほど

相手から軽んじられ

 

 

 

 

禁止事項が多いから

気が緩んだ時に

 

 

 

 

溜まったうっぷんが出て

嫌味な事を口走って

 

 

 

 

「あいついい顔して

本当はこんなこと思ってんだぜ」

 

 

 

 

と、余計に嫌われて、、、、、

 

 

 

 

寂しさのミルフィーユ状態ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今だからわかること

 

こんにちは!

 

 

 悩めるあなたと一緒に考えたい

 

 

発達障害グレーゾーン

 

 

もなかあんこです。

 

 

 

いよいよ年末になって参りました。

 

 

 

 

前回まで子ども時代のはなしを

色々としてきました。

 

 

 

なんだか何一つ

いいことがなかったの?

 

 

 

自分に突っ込みを入れたくなり

思い返せば

 

 

 

もちろん楽しいことも

ありました。

 

 

それは席替えの後。

 

 

 

固定の仲良しはいなくても

席替えで近くなった子とは

 

 

 

必ず一度は家を行き来したり

 しばらくは仲良くなります。

 

 

 

問題はそのあとです

一二度はお試しで遊ぶけど

それっきり。

 

 

 

小学校も3、4年生になると

ある程度グループが出来てきて

固定メンバーが出来ます。

 

 

 

そのレギュラーメンバー

ほとんど動かないけど

席替え一緒になった人とも

箸休め的に遊んでみる。

 

 

 

気に入ればまた遊ぶし

そうでもなければそれっきり。

 

 

 

私はといえばたまに

遊ばれて(両方の意味で) 

どこのレギュラーにも入れず

いつも流浪の民

 

 

 

 

寂しかったなぁ

 

 

 

辛かったなぁ

 

 

 

みんなのように

普通になりたかったなぁ

 

 

 

欲しかったなぁ

何をしても許される

帰れる居場所。

 

 

 

家庭以外でいくつか

そのような場所があれば

ひとの心は安定しますよね。

 

 

 

その頃はよくは分からないけど

なんとかどこかの仲間に入りたくて

 

 

 

それでも

必死に入ろうとすればするほど

疎んじられて孤立する。

 

 

 

何がいけなかったのかな?

どうすれば友達ができたのかな?

 

 

 

大人になり子どもを持っても

未だに

一番難しい問題に正解は出せません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子ども時代が落とす影

 

こんにちは!

 

悩めるあなたと一緒に考えたい

 

 

発達障害グレーゾーン 

 

 

”もなか あんこ”です。

 

 

 

読んで頂いている

そこのあなた

 

 

毎度暗めな話で

ぐったりしてませんか?

 

 

そうですよね、疲れますよね。

それが私なのです。

 

 

それほど子ども時代に

形造られたものは

 

 

なかなか簡単には

消せるものでは

 

 

ないのですよ。

トホホ...

 

 

一番悲しい記憶は

忘れもしない、

小4の夏休み。

 

 

 

年の離れた兄弟は

部活やバイトに出かけていく

 

 

父は単身赴任

母もフルタイムのパートへ

 

 

 

朝、全員を見送り

そこからは私一人の時間

 

 

 

いえーい!自由だー!

そんなのも最初の1週間だけ。

 

 

 

気付けば始めから終わりまで

夏休みの一か月以上の間

 

 

じっと一人で

家から一歩も出ずに

過ごしたのでした。

 

 

 

誰からも誘いの

電話も来ない

 

 

こちらから

掛ける相手もいない

 

 

 

友達は

テレビとまんが。

当時はまだテレビゲームは

家にはありません。

 

 

食べることは大好きで

母が作ってくれた

昼飯以外にも

 

 

 

炊飯ジャーをカラーんと開けて

自分で🍙を作っては食べ、、

 

 

 

気が付けば夏休み期間だけで

3キロ増(;^_^A

 

 

人付き合いをしたくても

コミュニケーションが下手で

人が遠ざかり、

 

 

本当は寂しいくせに

素直になれずに

 

 

うまく付き合えないし

疲れるから

いっそ一人でいいや

 

 

そう言い聞かせて。

 

 

 

本当にさびしい子ども時代でしたね。

 

 

 

 

 

次回予告 >>>>>今だからわかること

 

 

 

 

 

 

本日のメインイベント 

 

 

こんにちは!

 

 

 

 

 悩めるあなたと一緒に考えたい

 

 

発達障害グレーゾーン

 

 

”もなか あんこ”です。

 

 

 

前回に引き続き教会でのクリスマスについて

 

普段は日曜学校という分校に通い、

大きな行事には御本山に行くという

話の続きです。

 

 

待降節というカウントダウンの頃から

御本山に通い、

本番のクリスマス礼拝のために

歌や劇の練習をするのです。

 

こうして書くと幼稚園の

クリスマス会と何ら変わらない気がします。

 

 

讃美歌は毎週必ず歌うのですが

クリスマス礼拝では

特にそれらしい歌を歌います。

 

きよしこの夜や

荒野の果てになどの歌が

有名ですね。

 

 

そして“本日のメインイベント”

それが劇「キリストの誕生物語」です。

 

 

子どもの頃は毎年恒例のため

出番は無くても全部のセリフを

みんなが覚えてました。

 

 

おそらくクリスチャンでなくても

ミッション系の幼稚園などに

通われた方はご存知かもしれません。

 

 

わたしにとっては

桃太郎と同じくらいなじみのある

昔話なのです。

 

 

 

~「キリストの誕生物語」~

 

 

昔、ユダヤの民には

こんな言い伝えがありました。

 

いつか、自分達を助けてくれる

救世主があらわれるという。

 

 

その救世主が生まれるとき

西の空には大きな星が輝くという。

 

 

過ぎ越しの祭りの頃、

東方から来る三人の博士達は

その大きな星を見つけ

その元にたどっていき

 

 

ベツレヘムの馬小屋で

飼い葉おけに眠る幼子イエス

見つけるのでした。

 

云々かんぬん

 

 だいたいですが、こんな感じです。

 

後に世界を救う偉大なる人が

大きな宮殿でもない

ましてやふかふかのベッドでもなく

 

馬小屋の餌箱で藁の中に

すやすやと眠っている。

 

そのことが

一番苦しんでいる人を

救ってくれる証なのだと

子どもの頃に教わりましたっけ。

 

 

閑話休題

 

 

このお芝居の配役も

学校内のヒエラルキーが引用され

セリフのある役は以下の

 

 

マリア(キリストの母)

ヨセフ(キリストの父)

三人の博士

羊飼い

天使ミカエル(マリアにお告げを伝える)

 

 

などでしょうか。

教会の大人に気に入られている子が

優先的に割り振られ、

 

私の役はしゃべらぬ

馬小屋にいる羊。

 

毎週親に逆らわずに

行きたくもない日曜学校に通い

真面目に歌の練習をしても

割り振られるのは

毎年毎年 物言わぬ羊役。

 

 

結局自分は

家庭以外の社会、

学校でも教会でも居場所はないのだ。

そのこと踏み固めていった

子ども時代でした。

 

 

 

 

次回予告>>>>>子ども時代が落とす影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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教会のクリスマス

 

 

こんにちは!

 

 

 

 悩めるあなたと一緒に考えたい

 

 

発達障害グレーゾーン

 

 

”もなか あんこ”です。

 

 

 

前回はクリスチャンの家庭で育つと

 

我が家の場合、クリスマスは寂しいという

お話をしました。

 

 

では一体、

教会のクリスマスってなんなの?に

ついてお話ししますね。

 

 

私の家族が通った教会では

クリスマス直近の日曜を遡ること全4回を

待降節と呼ぶイベントがあります。

 

 

クリスマスまでのカウントダウンといえば

分かりやすいですね。

 

 

大きなロウソクを4本

祭壇の上に並べて、日曜日の礼拝毎に

一本ずつ付けていくのです。

 

 

最初は1本、二週目は2本と

段々と増えていき

第四週目に4本とも灯されて

期は熟した!という感じになるのです。

 

 

子どもながらに

階段のように長さの違うロウソクをみて

やっと全部ついた!と喜んだのを

今でも覚えています。

 

ここで少しだけ

私の通った教会の紹介をします。

 

 

そこの教会は大元の本山のような

礼拝堂がまずあって、

分校と呼ばれる個人宅の一室で

行われる日曜学校との二つに分かれてました。

 

 

ちなみに日曜学校は

中学生以下の子供用教会です。

 

 

普段の礼拝は毎週分校に通って

たまにイベント事があると

御本山に行くと、いった感じでした。

 

 

クリスマスはその中でも一番のイベント。

待降節のあたりから分校ではなく

その御本山に通って、色々と練習するのです。

 

 

普段は会うことのない人達に

たくさん会い、ドキドキの私。

 

分校から御本山に行くのは

転校生やお上りさんの気分なのです。

 

 

 

続きます。

 

 

 

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クリスマスは苦しみます 

 

 

こんにちは!

 

 

 

 

 悩めるあなたと一緒に考えたい

 

 

 

発達障害グレーゾーン

 

 

”もなか あんこ”です。

 

 

 

前回はクリスチャンの家庭で育つと

同時に育まれる世間とのズレについて

お話をしました。

 

 

そしていよいよ

クリスチャンにとっても

世間の子供たちにとっても

最大のイベント

 

 

 

 

 

そう!クリスマス!

 

 

 

 

ああ、なんて甘美な響き、、、

いつも12月を迎えると

繰り返される会話が

「サンタさん、来るかな~?」

「サンタさんに手紙届いたかな~?」

 

小学校の同級生たちの会話を聞きながら

「ふっ、バカいってんじゃないよ」

ちびまる子ちゃんの野口さん並みに

(知らない人はググってね)

ひねくれていた私。

 

 

そのまま会話しているその子らのもとへ

 

私:「サンタを信じてるの?」

 

A:「え、信じてるよ。なんでそんなこと聞くの?」

 

私:「いないよ、サンタ」

 

A:「え―、いるよ、絶対に!

   毎年ちゃんとプレゼント届くもん!」

 

私:「だって私、一度もプレゼントもらったことないもん

   あんなの作り話だから」

 

A:「・・・・ 」

 

 

その後、Aの悲しそうな顔に

満足した私は

得意げな顔でその場を後にしたのでした

チャンチャン!

 

 

 

こうして字にすると

ホンっトにひどい奴ですね。

 

自分がプレゼントを

貰えない寂しさを

道場破りのような論破で

穴埋めしようとして。

 

でも、そんなことをしても

埋まらない、このやりきれなさ

余計にさびしくなったり。

だから友達いないんだよ。

 

小学生当時の自分に

そう教えてやりたいぐらい、

ねじ曲がってましたね~

 

家の経済状態もよくはありませんでしたが

そもそも

なぜ我が家では

プレゼントがもらえないのか?

 

それはクリスマスの定義につながります。

 

クリスマスはもともと

何の日か知ってますか?

 

一度は聞いたことがあるかもしれませんね。

そう、イエスキリストの誕生日と

されている日なのです。※諸説あり

 

キリスト教にとって最大のイベント、

それはキリストの誕生日を祝うことなのです。

ツリーを飾って

チキン、ケーキ、プレゼント ≠ クリスマス

 

という図式を幼い頃から叩き込まれました。

今こうして書いていても泣きそうです。

なんと子供には酷なことだろうかと。

  

 

家風も

”楽しく”よりも

”正しく”が重んじられ

 

悪い事は考えることさえ

悪!みたいなノリです。

 

続きます。

 

 

 

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